I am 与太郎

やりたいことは全部やる

フィリピン留学 アメーバ赤痢編

 

セブ島到着後早々にトランプ詐欺にてほとんどのお金を失った僕ですが、幸いにも学費はすべて支払い済ですし寮には不味いが飯はついてるので何もしなければ生きてはいけました。

 

日本にあるなけなしの金を引き出し最低限の出費で抑えていました。

 

なのであまり遊んでいません。

みんな夜な夜な歓楽街に繰り出して楽しいことしてたんだろうなぁ。

 

そんな中さらなる出費をせざるを得ない出来事が起こります。

歯痛です。。。

急に右の奥歯が痛くなって、しまいには満足に噛むこともできなくなりました。。。

僕は当然無保険でしたが病院へ行くことにしました。

そして・・・神経抜かれました。。。痛かったです。

料金は約2万円、今の僕にとってはかなりの大金。。。痛い出費となりました。

 

 

それからというもの僕は周りの人にたかって、彼らがどこか行くときは連れて行ってもらい食事もご馳走になりました。文字通りたかってました。。。

 

 

そんな帰国まで1ヶ月程残したある日、またしても僕に悲劇が襲います。

急に熱と尋常じゃない腹痛に襲われました。

熱は数日で収まりましたが腹痛がヤバく30分に1回くらいトイレにこもってました。

友達に正露丸などを貰いましたが全く効かず症状は悪化していくばかり。

食欲もなく、食べてもすぐトイレに行って下痢になって出てしまう感じで途中からほとんど固形物はなく、全て水と化していました。

それも赤い水が出たと思ったら次は緑の水と日によって変わりました。

まるで下痢占いをしてるかのように。

さすがにあまりにもひどいので病院に行って便の検査をしてもらいました。

 

 

結果は・・・アメーバ赤痢でした。

 

 

何に当たったかはわかりません。

水道水は飲むなと言われていたので飲んでませんが1度だけフードコートで飲んじゃった気がする。。。

金を無くしてからは外食も現地人が食べるようなものがメインだったのでどれが原因でもおかしくありません。

 

日本の友達にもアメーバ赤痢になったことを報告しました。

彼らはネットでアメーバ赤痢について調べたらしく同性愛者(男)と知的障害者の感染率が高いことを知り、僕のことをゲイあるいは知的障害者扱いしたのです。

悲しくなりました。。。

 

薬をもらってからだんだんと良くなってきましたが合計約2週間ほど尋常じゃない腹痛で飯もろくに食えず、1日中ベッドの上かトイレで生活していました。

その結果、筋肉は落ちガリガリにやせ細りました。。。

 

そんな中での僕の唯一の楽しみはミニストップのソフトクリームでした。

めちゃくちゃうまいです。しかもクソ安い(40円くらい?)

バニラとチョコレートがありますが絶対バニラ!

チョコはただの低クオリティなアイスですがバニラは最強に濃厚で日本で食べるものより全然うまいです。

このミニストップのバニラソフトクリームだけはアメーバ赤痢中も毎日のように食べていました。

 

その後アメーバ赤痢も良くなり、帰国の日が近づいていました。

 

結局僕は3ヶ月弱のフィリピン滞在で金と筋肉を失って帰ることになりましたとさ。。。

 

 

全体的にフィリピンに批判的な内容ですが、これはあくまであの時あの場所での僕の正直な感情を書いているだけなので僕はフィリピンは嫌いではありません。むしろ好きです。いろんな意味でフィリピン人にはお世話になっているからね。。。

 

 

 

 

 

フィリピン留学 トランプ詐欺編

 

セブ島へと到着しました。

 

事前に申し込んでいたシェアハウスの管理人さんに迎えにきてもらいシェアハウスへと向かいました。

 

フィリピンで学校の寮に入らず外部のシェアハウスに住むのはちょっとレアケースです。この方が費用を抑えられるためにやりましたが、理便性も考え1ヶ月後には学校の寮に入ることになります。

 

 

僕はセブの都会の方に来てしまいました。

正直街の印象は「汚い」でした。空気は本当に汚い。。。交通量半端ないし。。

近代的なビルが立ち並んでるすぐ隣の路地にはボロボロの家で人々が暮らしています。

正直僕は2日目くらいに「合わないな」と思ってしまいました。。。

人も空気も食べ物も全て好きにはなれなかったです。

 

 

初日はオリエンテーションなどをこなし、翌日から授業が始まります。

チャラついたやつが多いなぁ〜っていう印象。

授業は生徒によって受ける時間が違います。

がっつりやる人は1日8時間くらい、僕は4時間で申し込んでいましたが期間短縮のため6時間に増やしました。

 

 

授業は一応マンツーマンで僕の行った学校は個室ではなく、ただ1つ1つの机に仕切りがあるだけなので隣の声なんかもバッチリ聞こえて来ます。

 

文法、スピーキング、リスニング、ライティング、リーディングなど自分でカリキュラムを組めるので自分の苦手分野など目的に合わせて組めるのは良かったです。

 

気に入らない先生はチェンジすることも可能です。

ただしチェンジをしたら確実にバレるのでそのあとも学校で顔をあわせるのが気まづい人はいるかも。僕は何回かチェンジしました。

なかなか皆さん気が強いので何人かの先生とは衝突していました。

 

あと、ゲイが多いです。5人に1人はゲイです。

 

 

授業開始から1週間ほどたった頃、学校終わりに僕は1人でセブの2大ショッピングモールの1つSMショッピングモールに行きました。

広いショッピングモールで、いろんなお店を見て回っていました。

すると1人のフィリピン人のおばさんから声をかけられました。

 

おばさん「Are you Korean?」

 

僕「No, I'm Japanese」

 

おばさん「おー日本人!私の妹がもうすぐ早稲田大学に留学に行くのよ!!」

 

僕「へー」

 

おばさん「日本のこと色々聞きたいからちょっと座って話さない?」

 

僕「いいよ」

 

という流れで少し話すことになりました。ちなみにおばさんは日本語が喋れません。

 

おばさんは妹の写真を見せて来ました。別に可愛くはありません。

「妹と電話で話してくれない?」とも言われましたが電話繋がらず。

するとここから「妹が日本に行ったら妹の部屋に泊まってもいいよ」などと、なぜかおばさんは僕と妹をくっつける方向で話を始めました。

その後「一緒にうちでランチしない?妹もいるから」と。

断る理由も特になかったのでついて行くことにしました。

 

おばさんの兄もショッピングモール内にいるとのことで合流し、タクシーで彼らの自宅まで行くことになった。

 

車中ではおばさんが僕の隣に座り、紙に何かを書いていた。

 

どうやら英単語だ・・・

紙にびっしりと書かれた英単語を僕に見せ「これの日本語読みをローマ字で書いてくれ」と言うので、めんどくさかったが書かされた。

後になって思うとこれは僕に道を覚えさせないための技だったんだろう。

 

 すぐ近くと言っていたが待てど暮らせど着かない。。。

気がついたら結構な郊外まで来ている。

運転は荒く、道はボコボコで僕はゲロを吐く寸前だった。。。

 

ようやく家に着くとまずリビングに通されクラッカーを渡された。

「なぜクラッカーだけなんだ?!」今から大金を奪い取ろうというやつに飯ぐらいくれてやってもいいだろう。。。当時は車酔いのせいで食欲もなかったので特に気に留めなかったが、後からそのことを思い出してムカついた。

 

その後おばさんの姉を紹介された。この姉は少しだけ日本語が喋れた。

しばらく会話をしていると今度は家の主人と思しきおじさんがやって来た。

このおじさんともしばらく会話をしていた。

待てと暮らせど飯は出てこないし、おばさんの妹も出てこないじゃないか。

その後おばさんは2度と僕の前に姿を表さなかった。。。

 

僕の体調も回復して来た頃、主人のおじさんが「俺はカジノで働いてるんだ」と言い出した。

正直カジノに興味がある僕はその話に食いついた。

彼はセブシティのカジノのVIPルームで働いていると言っていた。

すると彼は僕に何のゲームをプレイするか聞いて来た。

僕が「ブラックジャック」と答えると、彼は「勝ち方を教えてあげるよ」と言ってきた。

僕は「どうせベーシックストラテジーだろ」と思っていた。

そして彼は自分の部屋へと僕を案内した。

部屋には小さいながらもカジノのカードゲームで使うテーブルもあった。

 

ブラックジャックを実践しながら彼が僕に色々と説明してくる。

どうやらベーシックストラテジーではなさそうだ。

 

 

これは・・・イカサマだ!!!

 

 

イカサマはシンプルなものだった。

細かいことは忘れたが主人がディーラーとなり、僕と組んで僕を勝たせるといったもの。

 

 それから数回練習をしたのち彼が「今度VIPルームに招待するからこれで稼がせてあげるよ」と言って、僕はこれで終わりかと思いきや今度は「今知り合いのタイの富豪が来てるから彼をハメよう」と言ってきた。

僕は特に了承もしてないが彼はすぐさまそのタイ人に電話をし始めた。

それからものの5分程度でそいつはやってきた。

 

風貌は60代くらいのバーコードハゲでサングラスをかけスーツを決め金のアクセサリー類をジャラジャラ纏った、映画「アウトレイジ」に出てきそうなやつだった。

彼の名は「Mr. モーコン」 僕は「Mr. Happy」として戦うことになった。

 

そしておじさんが$100札(なぜか米ドル)をくれ「これで遊んでいいよ」と言ってくれた。

 

僕もこの時は自分のお金を賭ける気は全くなかった。

 

僕はもらった金で打ち合わせ通りイカサマゲームをした。

 

もちろん勝ちまくる。相当チップも貯まってきた。

 

が、Mr.モーコンはさらに金を賭けてくる。なぜか米ドルで。しかも100万円くらい一気に賭けてきた。

 

僕のチップがMr.モーコンの賭け金に釣り合わなくなった時、ディーラーである主人が僕に「ちょっと手持ちはあるかい?」と言ってきた。

 

僕の財布の中にはフィリピンペソで2万円ほどあったのでこれを追加で出した。

 

さらにゲームは続く。

 

例によって僕は勝ちまくり手元にあるチップも増えてきた。

 

ここでまたMr.モーコンが莫大な額を賭けてきてチップが足りなくなった。

 

すると主人が「もうお金ない?」と聞いてきたので僕は「家にまだあるわ」と言ってしまった。

 

すると主人が「1度ゲームを中断してそのお金を取りに行こう」と。

 

今は懐かしきおばさんの姉と兄が同行してタクシーで僕の家までお金を取りに行くことになった。

 

もうこの時点では「これは詐欺かな?」と頭をよぎっていたが僕の気持ちは「もし1%でも詐欺じゃない可能性があるなら俺はその1%に賭ける!!」と。

それに例えこれが詐欺だったとしてもネタとして相当面白い経験なんじゃないかと思っていた。

が、のちに調べてみると東南アジア界隈では非常に有名な手口だそうでネットに転がってる他の被害者の手口とまるで同じだった。。。

かなり古典的なものに騙されてしまった・・・せめてもうちょい珍しいものだったら良かったのに、と地味にこれがお金を失ったことよりショックだった。。。

 

 

そして家にあった僕の手持ちの全財産約15万円を持ってったが姉が「クレジットカードはない?」と。

 

「クレカで日本にある金を引き出せるでしょ」とも。

 

僕は「俺のカードは引き出せないやつだよ」など適当なことを言った。

 

すると姉は「じゃあそのカードで金の代わりになるものを買おう」と言い出した。

 

僕「おいおいおい・・・いいぜ!」

 

ということで事の発端となったSMモールに行き宝石屋に入って金のペンダントを買った。これも約15万円。

 

そして彼らの家へと戻りゲームを再開した。

 

その後も順調に勝っていく。

 

この時僕の手元のチップは数百万円という単位で積まれていた。

 

ここで主人の合図により次がラストゲームになることになった。

 

ラストはお互いに手持ちのチップを全て賭けた。

 

ラストゲームが始まり僕はヒットとスタンドの選択ミスをしてしまう。

 

内心「やっちまった」と思ったが、それでも僕のカードは強い。

 

相手が勝つ確率は限りなく低い。ある特定の数字を引かない限り勝ちはない。

 

そして彼の次のカードが配られた。

 

まさにそのカードだった。。。

 

僕は負け、全てのチップを失った。実被害額30万円以上。

 

 何れにしても負けていたんだろうが、もし僕がミスってなかったらどういう展開になっていたのかが気になった。

 

そして姉にタクシーで家まで送ってもらえるかと思いきや、全く知らない場所で降ろされた。。。

 

その後は自力で帰り悲観した。かれこれ5〜6時間の出来事だった。

 

だが実は彼らはこれで終わりにせず後日続きをやろうと持ちかけてきた。

 

その後も何度かメッセージのやり取りをしていた姉が「私たちは今あなたのために軍資金集めを頑張っていて銀行にお金を借りようとしてるけど保証金が必要だから少し貸してくれないか」と・・・「まだ俺から金を搾取しようとしているのかこいつらは。。。」と怒りに震えた。

 

騙された僕も哀れだが騙した奴らはもっと哀れだと思い、「騙す側の人間になるくらいなら一生騙される側でいいや」とすら思えた。

いや待てよ、騙される側が存在するから騙す側がいるんだ。だとしたら1人1人が騙されないよう努力するのが詐欺を撲滅する一番の方法なのかもしれない。

 

 

詐欺ダメ。ゼッタイ。

 

 

 

 

 

 

フィリピン留学について 個人的感想

 

オーストラリアから一時帰国し1ヶ月ほどぼーっとしたのちフィリピンのセブ島へ出発しました。

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なぜ僕がフィリピンに行こうと思ったかというと、実は僕がシドニーにいた時くらいから考えていました。

 

なんなら当初はオーストラリアに5年くらいは住もうかとさえ思っていました。

もともとある目的を持って海外に出ていったわけでしたが、次第に「もしかしたらオーストラリアじゃないかもな」という気持ちが出てきていて、そこで目を付けたのがフィリピンでした。

 

 

しかも、僕は当時フィリピン留学なるものを知りませんでした。

ですがオーストラリアにいる主に韓国人がフィリピンに数ヶ月行ってからこっちに来るというパターンを王道化させていました。

次第に日本人の間でもフィリピン留学が流行ってきて僕も気になっていました。

なのでワーホリが終わったらどんなもんか実際体験しに行くのもありだなというところからフィリピン行きを決めました。

 

 

なぜフィリピン留学が人気なのかというと・・・ズバリ値段です!!!

 

 

フィリピンは物価が安く授業料も格安で受けられるというのが謳い文句になっています。しかも授業は基本的にマンツーマン。さらに寮が付いていて食事も付くことから、コスパが良く、気軽に留学に行けるといったことが人気の要因です。

 

デメリットとして言われるものは、治安面や講師がネイティブじゃないといったところでしょうか。

 

治安面は・・・良くはないだろといったところで、もちろんフィリピンのどこへ行くかにもよるし危ないところに行かないなど自分で気をつければそんなに危なくはない。

 

講師がネイティブじゃないことに関して・・・これは僕も気になってたので行く前にネットでも調べましたが大体どこの情報も同じで「フィリピンの公用語は英語で、講師たちはネイティブにも引けを取らないほどの英語力なので問題ない」と。。。

 

これは嘘だ!

まず普通の国民はそんなに喋れません。。。

そして講師もネイティブとは全く違うので自分の英語学習の目的をはっきりさせてから行った方が良いと思います。

例えばフィリピンだけで生きていくための英語を身につけたいならそれで良いでしょう。

あるいは多少のコミュニケーションが取れるようになりたいだけとかリスニングはともかくスピーキングに特化した練習がしたいという人もまぁ良いでしょう。

でも、だったらオンラインで良くね?って感じ。オンラインは激安なので家にこもって1日12時間ぐらいやったら相当コスパ良いし。

 

 

せっかく留学に行くのだから何のために英語を勉強して、その英語をそのあとどのように使いたいのかを明確にしてから行くと良いと思います。

 

 

僕が出会ってきたフィリピン留学経験者たちは口を揃えて「良かった」と言います。あまり否定的な感想を現実でもネットでも聞いたことがありませんでした。

 

 

ですが僕のフィリピン留学は正直言って「最低」でした。。。

まず、上記のような先入観から僕自身行ってもないのにフィリピンを過大評価してしまっていましたのが理由の1つです。

そのため最初は最低でも半年間は滞在しようと計画していましたが、行ってすぐに3ヶ月に短縮しました。

次回書く”負の出来事”が起こったのも事実ですが、それらを差っ引いても英語の習得という目的でフィリピンに行くのはあまりオススメしません。

 

これは、パンチを習いたいのにボクサーではなくキックボクサーに習いに行くようなものです。

 

我ながら素晴らしい例えだ。

 

実際はコスパもそんなに良くありませんし、フィリピンでは働けないのでワーホリで働きながら学校に通った方がマシでしょう。

 

僕がオススメする行き方は、2〜3週間、都会は避けてリゾート観光がてらに勉強もするといった方法ですかね。

都会に行っても汚染されてるだけですしストリートチルドレンもわんさかいます。

まぁでも実際フィリピン留学に行く人のほとんどが英語初心者の方だし僕が感じたようなことは感じないのかも。

だからみんな満足してるんだろうしね。

それだったら別にいいのかな。

 

だとしても長期間行っても時間とお金の無駄だと思うのでせいぜい1ヶ月かな。

あくまで個人的な感想なので悪しからず。

もちろんフィリピン自体が好きなら何ら問題ではありません。

ただ僕には合わなかった、それだけのこと。

 

 

次回はセブでの生活や僕の身に起こった出来事を書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーストラリア ワーキングホリデー ミートファクトリー編2

皆さんこんにちは与太郎です。

 

 

牛のKILL FLOORに配属が決まった僕はこう思っていました。

 

「もしかしたらこれで指や爪の痛みとおさらばできるかもしれない」と。。。

 

しかし現実はそんなに甘くはなかった。。。

 

 

まず、牛のフロアに配属したら装備が増える。

 

ナイフが必要になり、研ぎ棒も買い、必要とあれば研ぎ石も買う。

さらにナイフを使うため左手には鉄製の手袋を装着し、エプロンの内側には鎖帷子(くさりかたびら)を着用する。

 

このため装備が以前よりも重くなった。そしてナイフの手入れにも時間を割かなくてはならなくなった。

 

この時はまだナイフ研ぎの重要性に気づいていなかった。。。

 

 

そしてこのフロアを仕切るスーパーバイザーは韓国人の”サニー”だ。

ほとんどオージーが占める役職の中に唯一の韓国人だからできる男なのだろうが、この男の評判はすこぶる悪い。

特に同じ韓国人のワーカーからの評判は最悪だ。

牛のKILL FLOORは常にサニーの怒号が飛んでいる。10秒に1回は”Fuck"と言っている。ミスをすればしこたま怒鳴られ使えなければクビだ。

 

だがのちに僕はサニーとかなり仲良くなる(笑)

ジムで一緒にトレーニングしたりと・・・僕は嫌われ者と仲良くなる傾向があるのだ。

 

初めて牛のKILL FLOORに入った時は正直ビビった。。。

巨大な牛の後ろ足の片方だけが吊るされた状態だったが、あまりにも巨大すぎて冗談抜きに恐竜かと思った。。。牛ってこんなにデカかったっけ。。。

 

そんな張り詰めたフロアで僕の任された仕事は「ヘッドボーニング(骨抜き)」だ。

 

簡単に説明すると牛の顔面だけが吊るされて僕のところに流れてくる。

 

前行程ですでにむき出しになっているタンを切り取り、喉の骨を切り捨てる。

 

ここからがメインの作業だ。

 

牛の頬肉をなるべく無駄のないように骨から剥がすように切り取っていく。

 

手順は文章では絶対に説明できない。。。

 

両頬肉を切り取ったら次は尻尾を取りに行き、尻尾についている毛を1本残さず洗い流す。

 

この一連の作業をラインが止まっている間にこなさなければならない。

 

このポジションはテクニックがいる。そして何よりもスピードが重要。

 

そしてそれらを発揮するには最高の切れ味のナイフを持っていなければならない。

 

最初の1ヶ月間はこれに苦労した。

 

一頭切るごとに悪くなっていく切れ味。研ぎ棒と砥石で常にシャープなナイフを保たなければ仕事にならない。

 

ナイフは死ぬほどデリケートだ。少し研ぐ角度が変わっただけできれないナイフとなり、仕事中不意に刃先が牛の歯や自分の鉄製の手袋にちょこんと触れただけでも肉に刃が通らなくなる。

 

ナイフの研ぎ方が未熟な僕はいろんな人に研ぎ方のコツを聞いて回ったが一向にシャープなナイフを作れないでいた。。。

 

切れ味の悪いナイフを使うということはその分無駄に力を入れざるを得ないしスピードも遅くなる。

 

短い制限時間の中で1日約400頭の牛の顔面を1人で切り裂く。

 

想像以上にキツかった・・・時間に追われるストレスやすぐに切れ味の悪くなるナイフ、そして何よりも指の痛みによって僕は終始イラついていた。。。

 

こんなにイラついたことはないってくらいこの1ヶ月間はストレスに満ちていた。。。

 

この時の僕の手は終わっていた・・・爪はまだマシだがパンチの時よりも手を酷使しているじゃないか・・・特に左手は痺れていて感覚がなくなっていたし、パンパンに腫れ上がり全く手を握ることもできなくなっていた。

バネ指も悪化し、寝ている時の寝相で指が動くとその痛みで目を覚ましていた。

特に朝はひどく、毎朝お湯に両手をつけてほぐしていくことから1日は始まる。

実際手を満足に握れない状態が半年以上も続いたが、爪が再生し、指の太さが元どおりになりバネ指も改善され普通に痛みなく手を握れるようになった時は本当に嬉しかった。

普通のことが普通ににできる喜びをこの時知った。

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 パンッパン!!

 

 

ヘッドボーニングを始めて1ヶ月がたった頃、ある男を紹介してもらう。

 

台湾人のエドワードだ。

 

どうやら彼は以前他の工場にも務めており工場経験が豊富でナイフの研ぎ方がプロだと聞いた。実際いろんな人にナイフの研ぎ方などを指導しているらしい。

 

ある日僕は彼のナイフを少しだけ使わせてもらった。

 

なんなんだこれは・・・まるで豆腐を切っているみたいではないか。。。

 

これに感動した僕は次の休みの日にマイ砥石を持って彼の家を訪れ指導を仰いだ。

 

彼の口から発せられる言葉の数々は全て新鮮で目から鱗もんだった。。。

 

それ以降僕は毎日出勤前に入念に自分のナイフを研ぎ、常に万全な状態で仕事に臨めるようになった。

 

この頃には僕はプロのヘッドボーナーヘと進化を遂げていた。

 

 

だが、そんな最高にシャープなナイフを使っていても歯が立たない相手がいる。

 

それがブルだ。どうやらオスの牛のことらしい。

 

こいつは他の牛よりさらに巨大でその全てが規格外だった。

顔デカッ!重っ!!尻尾太っ!!!肉切れなっ!!!!といった感じ。

これはもう逆にテンション上がってくる。

 

もう1つめんどくさいのがあった。

 

それはNON HALALである。

イスラーム法において合法なものの事をハラールといい、非合法なもののことをハラームといいます。そして、最近ではそれ以外のハラールでない物の事を非ハラール(non halal)と称する事もあります。

引用:日本ハラール協会

 

うちの工場ではイスラム圏に輸出しているみたいでNON HALALの牛は捨ててしまいます。。。

 

彼らの決まりで彼らのうちの誰かが直接首を切ったものでないとハラール認定されないみたいだ。

なので牛が輸送中に死んだりしたらそれはNON HALALとなり食べることはできない。

 

そのため数人のハラールの使者がフロアにいて交代で首を切っていた。

首を切っていない時はただつっ立っているだけだ。

 

そしてNON HALALの牛が流れてくると彼らは厳しく見守る。

なぜならNON HALALの牛を触った手でHALALの牛を触るとそれもNON HALALになってしまうからだ。。。なので彼らは僕らがNON HALALの牛 を触った後にちゃんと手を洗っているかを見ているのだ。ここに関してはかなり厳しい。

 

正直内心「子供か!」と思っていた・・・「うわ、きったねぇ◯◯菌タッチ〜はいお前感染したー」とか子供の頃やってたなーと思い出した。。。

 

 

そんなこんなでこのポジションで半年間働きましたよ。

 

ちょうど帰国する2週間前くらいに仕事を終えて日本へ帰る準備をした。

 

そういえばタックスリターンを忘れずに。

詳しくはここでは書かないけど僕のいた時と今では税率も変わってあんまり返ってこないみたいですね。

僕は$2000〜3000くらい返ってきました。

自分でやるのはめんどくさいのでエージェントに任せましょう。

僕が使ってたのはここです。

ezytaxonline.com.au

安いし問題なくできました。

年金の返還もここでやりました。

年金は少し手こずりましたけど$1000は返ってきました。

 

 

こうして2年間のオーストラリア生活が終わりに近づいてきて、「他にやり残したことないかな?」と考えていたら「あ、”あれ”やってなかったな・・・」ということで帰国までの1週間くらいの間で”あれ”をやりました。”あれ”はやばかった。。。

 

 

 いよいよ帰国ですがもうすでに次の行き先は決めていました。

 

”フィリピン”です!!

 

一時帰国後にフィリピンはセブ島に出発します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーストラリア ワーキングホリデー ミートファクトリー編

皆さんこんにちは与太郎です。

 

 

ミートファクトリーのある町へとやってきました。

 

海沿いにバッパーを見つけました。

 

ですが、まだお金がないので$15で買ったテントで寝ます。

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蟻は入ってくるわカラスはうるさいわ寒いわで大変でした。

テントや寝袋は良いものを買ったほうがいいです。

 

ミートファクトリーの募集を行なっていたエージェントと会ってひとしきり説明を受けます。

 

基本的に毎朝5〜6時に工場へ行き、仕事のウエイティングをします。

ポジションに空きが出来次第、人員を補充していく感じです。

大体1日に3〜5人補充されていく感じでウエイティングルームには常に30〜50人の仕事待ちの人でいっぱいでした。そのほとんどが出稼ぎに来た韓国人と台湾人です。

エイティングルームは常に葬式のような静けさに包まれた異様な雰囲気です。

その日選ばれなかった人たちは帰宅して仕事をもらえるまで毎朝通い続けます。

 

初日は契約書の記入などの登録手続きをしに行きましたが、なんでもミートファクトリーの仕事をするにはQフィーバーのワクチンを打たなければならないらしく、このワクチンと制服、装備代の数百ドルが初回の給料から天引きされます。

 

 

そしてウエイティング3日目の朝、 いつも通り葬式のような雰囲気の中オージーのスーパーバイザーがやって来てエージェントに何か伝えます。

 

するとエージェントが僕らに向かって「パンチ」やりたい人いるか?と問いかけて来ました。周りの人間は全員うつむいたまま『しーん』。。。

せっかく仕事をもらえるチャンスなのにバカかこいつらはと思いながら僕が手を挙げました。

するとエージェントは「マジか?かなりキツイぞ!!」と言ってきました。

実はこのパンチという仕事はみんなが一番やりたがらない仕事だそうだ。

もちろん僕は「やります。むしろやりたい」と言い、たった3日で仕事をゲットすることができました。

 

 パンチの仕事内容は簡単に言うと「羊の皮剥ぎ」です。

 

その様が羊にパンチを食らわしているかのようなのでパンチと呼ばれている、と思う。

僕はナイトシフト(15時〜24時)の仕事をもらった。

仕事は平日の週5日で土日休み。

 

仕事初日、長靴を履き、ヘルメット、エプロンと薄っぺらいゴム手袋を身につけた僕が案内されたのは「KILL FLOOR」だ。

 

いかにもな名前だが扉を開けて入ってきた景色はまさにキルフロアであった。

 無数の羊たちが逆さ吊りにされ血を垂らしながら流れていく。。。

 床一面血の海、そして羊独特の臭さがある・・・最初は少し衝撃的だった。

 

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僕の後ろの方ではギロチンで羊の首をちょん切っている。

 

その後いくつかの工程を経て僕らの前に来た羊の皮を片手で持ち、もう一方の手を羊の後ろ足の付け根部分から肉と皮の間にパンチを打ちおろすように突っ込んでいく。

 これが慣れるまではなかなかうまく突っ込めずに大変だ。

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左側パンチ済み、右側未パンチ。

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両方パンチ済み。

パンチの後も皮と肉の癒着を綺麗に剥がす作業が続く。

もちろんここでも手を酷使する。

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さらに剥がしていく。

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 ここまで剥がすのが僕らの仕事。

 

 

こういった作業を7〜8人で回していくため、お互い助け合いながらできる。

全員ができる人間の時は非常にスムーズでストレスが少ないが、下手な奴が混じったり新人が入ってくるとその分僕らにかかる負担が大きくなるのでかなりストレスが溜まる。

パンチはそのキツさや痛さによって脱落する奴も多いので入れ替わりが激しく、なかなかメンバーが定着しない。

 

手を酷使するので爪は死に、関節を痛め皮も剥ける。

僕は人差し指から薬指の爪6枚がほとんど剥がれかけ、うち1枚は完全に剥がれ落ちた。爪にテーピングを巻き痛みに耐えながらの仕事が続いた。

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まず血豆ができる。

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血豆が潰れる。

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パンチ中は摩擦を低減させるため常に手を水で濡らしておくのでふやける。

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なくなる。

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爪が死ぬ。くっついているように見えるが実際ついてるのは根元部分だけで剥がそうと思えばすぐ剥がせる状態。

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右手も死ぬ。

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手もムケムケ。

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ひっつき虫のような植物が羊の身体中にくっついている時は最悪。腕までボロボロ。

  

毎朝起きると指が痛い。バネ指というものにもなった。

 

幸いにも今は全ての爪が健康的に蘇っている。

 

このパンチの作業はハードだがデリケートでもある。

 

皮と肉の部分を剥がすときに綺麗に剥がさなくてはならない。

 

下手な人間がやるとどうしても肉部分の薄皮を傷つけてしまう。

 

するとオージーのスーパーバイザーが僕らに向かってFUCK!!”と叫ぶ。

 

これを1日何回聞いただろうか。。。

 

まるで僕らは奴隷のようだった。

 

 

 

日常生活はというと、基本的に仕事中心で仕事後にジムに行って筋トレをするといったルーティンだった。

休みの日は主に買い物や指の回復に務めていて、たまにメルボルンまで行って遊ぶこともあった。

 

 

このような生活を送りつつ着実にお金を貯めていった。

時給は$24〜5だったのでいい感じで貯まっていった。

 

 

余談だが僕はここに来て初めてサードビザ”の存在を知ることになる。

 

何人かの台湾人がもうこの工場で働いて3年目だとか4年目とか言っていたので詳しく聞いてみると、彼らはワーホリビザの2年間を終えたら1度国へ帰り、名前を変え、パスポートを再取得し、新たにワーホリビザを申請するといった方法だ。

 

なので彼らはサードビザ、フォースビザを使い合計で4年間いることになる。

しかもここに来ている大半の台湾人は出稼ぎ目的なのでなのでワーホリの期間全てを工場で過ごす。

もちろん英語なんて喋る気もなければ勉強する気もない。

かなり可愛い女の子もこの方法で滞在していたのには驚いた。

 

「違法じゃないの?」と聞いてみると「もちろんダメだよ!でもみんなやってる!」と全く悪びれる様子もなく台湾人の中では普通のことらしい。

それだけオーストラリアの給料は台湾人にとって魅力的なのだろう。

 

 

 

 

パンチを始めて3ヶ月が経とうとしていた頃、ある噂が流れた。

 

「羊のKILL FLOORのナイトシフトがなくなる」と。。。

 

これは困った、僕の働いているフロアじゃないか。ここが潰れたらまたウエイティングに戻ってしまうのではと心配していた。

実際多くの人間が職を失ってウエイティングに逆戻りした。。。

ただし、優秀な人間はフロアが潰れる前に順次声をかけられ他のフロアへの配属が決まっていった。

そして僕も新しい配属先が決まり、ウエイティング期間を設けずに働けることになった。

 

 

 

次の職場は・・・KILL FLOOR。。。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーストラリア ワーキングホリデー 仕事探しの旅編

皆さんこんにちは与太郎です。

 

 

メルボルン生活を終えて好条件の仕事を探しに田舎へ行くことにしました。

都会の方が簡単に仕事は見つけられるが、他のワーホリメーカーも大勢いるので英語が完璧とかでないと好条件の仕事を得るのは厳しい。

 

一方田舎はファームはもちろん工場系の仕事もあり且つ家賃が安いので貯金には適しているが車がないと無理だろう。

僕は免許を持ってないので友達に同乗させてもらって助かった。

 

 

今回の僕らの主なターゲットはファームとミートファクトリーだ。

 

特に狙っていたのはミートファクトリーいわゆる屠殺場だ。

工場勤務は時給がよくてファームと違い季節や天候に左右されないことから安定的な高収入が見込めるので人気の職種の1つだ。

 

 

出発するにあたって念のためレジュメ(履歴書)を準備した。

ファームではいらないが工場だと必要になってくる可能性もあるため、複数応募を考えて20枚ほど用意した。

オーストラリアの履歴書は日本の履歴書と違って所定の用紙が存在しない。そしてもちろん手書きなんかではないし写真の添付も必要ない。

 

スタイルは人それぞれだと思うが一応簡単な書き方とサンプルを載っけておきます。

 

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*あくまでアルバイト用なのでカバーレターや推薦人の記載は必要ないものとする。

職種を限定している場合や勤務日数及び時間に希望がある場合はその旨も記載した方が良いでしょう。

今回のものはワーホリで職種も特定せずに勤務日、時間はフリーで複数に同時で応募できるレジュメのサンプルです。

 

Personai Informationに何を書くかは本人に任せる。プロフィール自体書かなくても良いがビザの情報は書くように。

Work Experienceはオーストラリアでの職歴(あれば)と日本の代表的なのをいくつか書いておけば問題ないだろう。

Educationもオーストラリアの語学学校も書いていいし、日本の大学あるいは高校も書いても良い。サンプルの大学は適当。

Qualification&Skillsには資格や特技を書く自己PRのような欄。ちなみに僕はTOEIC 880点は取っていない。というか受けたこともない。

 

とこんな感じで所詮ワーホリですしシンプルなもので十分です。

 

 

 

ある有名なミートファクトリーがQLD州にあったのでそこへ向かうため北上することにした。

 

せっかくなので道中いろんな地に立ち寄って観光もした。

 

その中の1つオーストラリアの首都キャンベラに行ってみた。

 

着いたのは週末の夜だったが、本当に人がいない。まるでゴーストタウンだ。。。

 

翌日街をぐるっと散策してみた。

 

本当にこの街は綺麗だった。どう綺麗かというと人工的な綺麗さだ。

建物はもちろん、自然さえも人間によって計算的に植えられているかのような綺麗さ。

それにゴミが全く落ちていないし、道にゴミ箱もあまりない。

人は少ないし綺麗だが住みたくはない。。1回行けば十分かな。

 

そうやって寄り道をしながら目的のミートファクトリーへと向かっていくが残念ながら僕は運転できないので助手席でスヤスヤ。。。

 

ただひたすら大地を駆け抜ける。

 

オーストラリアは広いが栄えてる部分はごく一部なためほぼ何もない大地が広がっている。

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そして目的のミートファクトリーへとやってきた僕らは早速応募して、いつくるかわからない採用の連絡を待つ。

その間はバッパーに宿泊し他の仕事情報も集めながら連絡を待った。

 

しかし、お金もなく長期間待てない僕らは一応連絡を待ちながらも他のファームや工場にも積極的にアタックするために町を離れた。

 

 

ここからはバッパーに泊まる金も節約して車中泊をしてた。助手席でシートがほぼ倒せない状態での睡眠はキツかった。。。

おまけにこの車は友達がGumtreeで$600で買ったオンボロ車。。。

夜走行中に急にライトが消えて回復するまで待って消えて待ってを繰り返したり、エンジンがかからなかったり、時にはオーバーヒートを起こして熱を逃がす解決策として35℃以上の猛暑日に暖房ガンガンにかけて、しかも未舗装の砂利道走ってて窓締め切らないといけなくて車中サウナ状態だったりと・・・あの時はさすがに日本に帰りたくなったな。

 

 

そうこうしながら各地域の仕事を探し続け実際働けた3つの仕事はどれも短期間のファームジョブ。

 

1つ目はブドウ。

 

ある時期ブドウが激アツという情報と具体的なファーム名をゲットして応募しにいくがまだ始まっておらず、他の周辺のファームに仕事がないか応募したらブドウの葉のプルーニングの仕事をゲットできた。

いざ初日、やってみたが・・・これは絶対稼げない。。。

実際ブドウのなりをみてまだピッキングまでは時間かかりそうだなと思ったのに加え、このままだと家賃も払えなくなりそうなので翌朝にこの町を出た。。。

どうでもいいがこの近辺のブドウファームにはやたらとトンガ人が多かった。

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2つ目の仕事はまた別の町でカボチャのピッキングだった。

 

これは時給$21でひたすらカボチャをトラクターに投げ入れるものでいいトレーニングにもなった。僕の友達は死んでたが。。。

この仕事もなぜか1〜2週間で終わってしまい、また移動することになった。

 

 

3つ目はチェリーだ。

 

タスマニア以来だ。ここのファームは豊作とは言えない感じだった。

稼ぎも悪くはないが良くもないといったところで例によって2週間ほどで仕事終了。

 

 

 

一向にお金がたまらない中、あるミートファクトリーの情報を手に入れた。

 

仲介している人間にも連絡は取ったが確実に募集はしていると。

平均して2週間ほどのウエイティングはあるがそのあとは安定した収入を得ることができるそうだ。

 

最低6ヶ月は働いてもらうとのこと。

 

一応オーストラリアのワーホリでは1カ所で”最大”6ヶ月までしか働けないことになっているが、実際のところあまり関係ないようである。

僕も実際ここで約10ヶ月働いた。

ちなみに語学学校も4ヶ月までとの決まりだが学校を変えてしまえばあまり関係ない。

 

工場はメルボルンより南に3時間ほど離れた場所に位置し、メルボルンからかなり北上してきたが、再度南下することになった。

 

 

目的地に到着した。

 

工場の周りは血生臭さが漂っていた。。。

町はいい感じ。田舎だけど良い田舎だ。気に入った。

 

いよいよミートファクトリー生活が始まる。

 

 

 

 

 

 

オーストラリア ワーキングホリデー メルボルン編

皆さんこんにちは与太郎です。

 

 

治験をするためにメルボルンにやって来ました。

 

メルボルンシドニーに次ぐオーストラリアで2番目に大きな都市です。

「世界一住みやすい都市」としても有名です。

ヨーロッパ風な建物や歴史的建造物が多く建ち並ぶ街の中にはトラム(路面電車)が走り、オシャレなカフェが点在し、これまたオシャレな駅や図書館、オーストラリア最大のカジノもある、とにかくオシャレな街といった印象。

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僕はメルボルンの中心地にあるシェアハウス、通称”治験ハウス”に同じく治験を受ける4人の日本人と住むことになりました。

 

治験の概要はというと、乳がんの薬の試験で、事前検診→入院→事後通院で合計2ヶ月拘束の協力費が$1100くらいでした。

 

報酬は安いほうですが、2ヶ月間家賃がかからないというのがデカかったです。

この時僕はあまりお金を持っていなかったので2ヶ月間の治験期間中に他の仕事を見つければ効率よく稼げると思っていました。

 

 

到着からほどなくして入院しました。

 

 

 確か3泊4日だったかな。

この期間中とにかく血を抜かれまくった。。。

注射はいくつになっても嫌なもんだ。。。

僕以外の被験者で何人かは薬の副作用が出て風邪に似た症状、震え、嘔吐などがあったみたいでしたが僕にはこれといって何も起こりませんでした。よかったね。

入院期間中はとにかく暇でした・・・

ほとんどベッドの上にいて定期的にくる採血を受けるといった生活だったのでこれといった思い出もありません。

退院後は合計約10回の事後通院をする必要があるとのことでした。

 

 

 

退院して治験ハウスへと戻った僕はまだお金がなかったので仕事を探しながら節約生活を試みます。家賃はかからないので節約するのは食費です。

実はメルボルンは食費を節約するのに非常に適した街でした。

そこで僕がしてきた節約術をここで紹介します。

 

 

ハングリージャックス

これは他の国でいうバーガーキングです。なぜかオーストラリアではハングリージャックス略してハンジャと呼ばれています。

ではこの大人気ファストフードチェーンの何が節約かというと・・・アプリです!!

 

ハンジャ専用アプリにはシェイク機能があり1日1回振れるのですが基本何かしらの割引が当たります。そして結構な頻度で何かが無料になるのです。

これを僕はシャカシャカ振るのが日課となっていました。

で、いつも無料になったものだけをもらいに行くというケチ臭いことをしていました。

さすがに「全くお金を払わないのは気まずい」という方はぜひソフトクリームを買ってください。めっちゃ安いです。たったの50セントです!!

ちなみにマックは30セントです!でもハンジャの方が濃厚なのでおすすめです!!

 

そしてたまにこんないいものも当たります!!

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ハンバーガーのみならずセット丸ごと無料ってやばくないですか!!

ということで皆さんも早速アプリダウンロードしましょう!

 

 

ホームレスの配給に並ぶ

これは、ある通りでほぼ毎日夕方にあるホームレス向けの配給に参加するといったものです。数台のバンが来て日によって変わりますがパンやスープなど軽食を配ります。

僕はあえてアウェー感を感じるために綺麗目なジャケットを羽織って行きましたが注意されました。。

それからはなるべくホームレスらしい格好を心がけました。

あるアイテムを身につけると格段にホームレスらしくなることに気づきました。

それは・・・ニット帽です。これを目にかかるくらい深くかぶると、あら不思議一気にホームレスへと大変身!!

 

初めてオーストラリアのホームレスを見たときは日本人のルンペンホームレスと違って

驚きました。

道に正座して手をお椀型にして突き出していました。。。

他のホームレスたちも大体何かダンボールに書いて小銭を無言で要求していました。

 

日本でこれやってもみんなあげないだろうな、でもオーストラリアは結構あげてましたね。。。

浅草に発泡スチロールをドラムに見立てて叩いて道ゆく人々に「カンパくれ、カンパくれ」っていってるのが1人いますけどそれですら全然稼げてないですもん。。。

 

 

教会のフリーミール 

これはとある教会でボランティアの方々がやっているんですが、昼と夜決められた時間に行くと無料でご飯が食べられます。クオリティーはともかくこういう施設があるからホームレスに優しい街だなと思いました。

住みやすい都市ランキングってホームレスに聞いてるんですかね??

 

 

Lentil As Anything

これは寄付型のレストランで食事をいただいた後、自分でいくら払うかを決めることができます。ということは$0でもいいし$100でもいいのです。

ここの料理には確か肉類魚類がなかったから今思えば多分ベジタリアンヴィーガン対応してるんじゃないですかね。

 

 

とまあこんな感じでいかに僕が食費を抑えることにアンテナを張っていたかがわかると思います。

こんなのもありました。僕がメルボルンにいた頃、元助という博多ラーメン店がオープンするというのを聞いて調べてみると、なんとオープニングキャンペーンとして3日間先着50名はラーメン一杯無料とありました!

 

無論、全日無料でいただきました。

 

あ、でも替え玉はお金払ったから$2くらいは払ってましたよ!

 

ここは本当に美味しかったからその後もお世話になりました。一杯$13と高いけど。。。

 

 

ラーメンといえば節約期間中にある無料エージェントのイベントに行きました。

なぜならイベント参加者は辛ラーメン5パックもらえると書いてあったからです。

ちなみにこのエージェントは定期的にお好み焼きパーティなど無料で参加できるイベントを開催してるので僕にとってはありがたかったです。

イベント参加後、他の参加者の分ももらった僕は合計10パックの辛ラーメンを手に入れました。そしてこの10パックを朝昼晩の食事全て辛ラーメンにして、2日間で食べきりました。

するとその翌日いつも通り排便しにトイレに行くとなんか違和感がある・・・

「あれ、下痢かなぁ・・・」と思って便器の中を覗いてみるとなんと!!!

 

便器の中が血の海になっているではありませんか!!!

 

さらに僕の肛門からは収まることなくポタポタと血が滴り落ちています。。。

 

このとき僕は一瞬「治験の副作用だ・・・終わった・・・」と思いました。。。

 

実際は辛ラーメンの食い過ぎで胃がやられたんでしょうけどね。。。

辛ラーメンめっちゃ辛いから。。。

 

この後下血が数日間続きテンション下がりました。。。

 

 

 

ここで僕が気に入っていたお寿司屋さんを紹介します。

名前はTOKUI SUSHIです。街中にひっそりと佇む小さなお店でしたがメルボルンでは一番美味しいと思います。

主に巻き寿司を扱っていましたが僕のお気に入りはタマゴロール、サーモンアボカドロールとうなぎロールです。

これらがたったの$2で味もめちゃめちゃ美味しい。多分日本で食べるよりうまい。

ぜひ行ってみてください。まだあるか知らないけど。

 

 

 

次はメルボルンでオススメの英語勉強法を紹介します。

 

まずは教会のフリーイングリッシュレッスン!

これはメルボルンにあるいくつかの教会で毎週行われていて、授業っていう感じではなく英語を使ってディスカッションしたりゲームをしたりといった感じです。

これはメルボルン以外でも行われているので気になったら調べてみてください。

 

で、本命はランゲージエクスチェンジです!!

直訳すると言語交換です。日本語を学んでいる英語圏の人とお互いの国の言葉を教え合うといったものです。これもメルボルン以外でもやってますし、なんなら個人的にパートナーを見つけてやってもいいと思います。

メルボルンでは結構盛んに行われていて、僕がよく行っていたのはメルボルン大学のランゲージエクスチェンジです。

サークルのような感じで毎週やっていて外部の人間も受け入れてくれるのでここはオススメです。

 

 

もう1つ僕がメルボルンで日課にしていたことがあります。

 

 

それは・・・カジノです!!!

 

 

ここメルボルンにはオーストラリア最大のカジノ”クラウンカジノ”があり、かなりの頻度で行っていました。

もちろんカジノ自体も楽しみましたが、他にスポーツベットなんかもやりました。

この時、テニスの錦織選手vsジョコビッチの試合がありました。

その頃の錦織選手はまだ今ほど注目されてなくてオッズもかなり開いていたので一か八かで$20だけ錦織選手に賭けてみました。

 

そうしたらなんと見事勝ってしまったんです。。。

お金は6倍くらいになって返ってきました。

もっと賭けておけばよかった。。。

 

そういえばクラウンカジノでメイウェザーvsパッキャオも観戦しました。

すごい人の数だったな。。。

それより来週末のメイウェザーvsマクレガーも楽しみだ。

 

 

そんなことより僕がほぼ毎日カジノに通っていた最大の理由、それは・・・

 

 

 

ビンゴです!!!

 

実はカジノの上の階では日々ビンゴ大会が開催されているのです。

しかもなんとビンゴになるとお金がもらえる!!!

 

参加費は無料。当然毎日参加しますよね。

 

ビンゴと言っても日本で見慣れているものとは形式が異なります。

専用の用紙に専用のスタンプを使って高速で読み上げられる数字を潰していきます。

最初は数字が読まれる速度についていけませんでしたが、すぐに慣れます。

リスニング力強化にもいいかも。

 

会場はこんな感じで客層はほとんどが老人。

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ビンゴがメルボルンの老人の道楽か。。

 

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専用のシートとスタンプ

 

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下がリーチの状態。

 

上下どちらでも全部の数字が読まれればビンゴ。

ビンゴになったら大きな声で「ビンゴ!!」と叫ばなければなりません。

一番最初にビンゴになった人が賞金ゲット!!

全部で10ゲームあって徐々に賞金の額が増えていく。

$60から始まって最後が$200だったかな確か。

さらに1ヶ月に1度だったか半年に1度だったか忘れましたがデラックスビンゴ大会という通常の会場も賞金も10倍規模の大会も行われます。

僕も1度参加しましたが事前に予約が必要で会場はバカでかいパーティ会場のようなところで知らない人たちと丸テーブルを囲みビンゴをします。

 

僕の知人はなんとこれで$500当てやがった。。。

僕の周りの人間は額は多かれ少なかれ1度は当たったことがあったが、僕だけはこんなに参加してるにも関わらず1度も当たったことがないという。。。

 

このビンゴ大会は日本人にあまり知られてないと思うので是非参加してみてください。

 

 

 

ここまで読んできてこう思ったんじゃないですか?

 

「仕事してなくね?」と。。。

 

確かに仕事探しはしていましたが好条件のものがなく苦戦していました。。。

 

が、ちゃんとやってましたよ仕事。

 

僕のやってた仕事はこれですこれ。

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INVISIBLEMAN(透明人間)です。

 

説明は不要ですね・・・

 

これを数時間道に放置して小銭を稼いでいました。

オーストラリア人もこういったシュールなものも好きなようで、みんな透明人間と肩を組んだりして写真を撮っていました。

しかもちゃんと小銭も入れてくれて、稼げる額はたかが知れてて$5〜6くらいでしたが人生初の不労所得を得て嬉しかったです。

 

 

ですがある時目を離してる最中に確かにさっきまで入っていた売り上げが綺麗になくなっていたのです。。。

 

「やりやがったなルンペンホームレス。上等だぜ」

 

それ以降監視体制を強化しこれを置いてる時は常に見えるところで待機していました。

売り上げを盗んだルンペンホームレスを血祭りにあげるために。。。

 

ですがそれ以降売り上げが盗られることはありませんでした。。。

ルンペンホームレスの勘が働いたのでしょう。。。

 

 

しかし、大した額も稼げないのに常に監視しているなら自分でなんかやった方がいいと思い、考え付いたのがこれだ!

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透明人間進化バージョン

 

自分らでコスチュームを作りいざやってみたが、恥ずかしさが半端ない・・・

 

結局3回くらいしかやらなかったし思ったよりも稼げなかったのでコスチューム代の回収すらできなかった。。。

 

こういう路上パフォーマンスをバスキングという。

 

メルボルンはバスキングのメッカで街の至る所でみんなそれぞれパフォーマンスをしている。中にはバスキングだけで生活できてしまうほどの猛者もいた。

 

そしてメルボルンでバスキングをするにはライセンスが必要です。

もちろん僕も取りました。

費用は$20ほどで2時間ほどの講習を受けます。最後に何をやるのか聞かれましたが、見栄を張って「ダンス」と答えました。

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1年間有効なバスキング許可証

 

 

そんなこんなで気づけば治験期間も終わりに近づき、治験ハウスからも引っ越さなければなりません。

 

 

もう特にメルボルンに残る必要はないのでまた新たな土地に移動を考えていたところ、タスマニアで一緒に働いていた日本人がその後車をゲットしてメルボルンにやってきていたのでその車で一緒に仕事探しの旅へと出かけることになりましたとさ。。。